『日本書紀』と本居宣長

三重県出身の偉人の一人に、江戸中期の国学者・本居宣長(1730~1801)が挙げられます。本居宣長は三重県松阪市に生まれ、同地で医業の傍ら古典研究を重ね、その生涯をかけて『古事記』全文の注釈書『古事記伝』を完成させました。

宣長は『古事記伝』の冒頭において、『日本書紀』およびそれに傾倒する世の中を痛烈に批判し、『古事記』こそが最も尊ぶべき歴史書であると主張します。今でこそ日本の神話といえばまず先に『古事記』が連想されますが、朝廷が「私的」に編んだ『古事記』よりも我が国の「正史」として纏められた『日本書紀』こそが重視すべき歴史書であるという考えが当時は一般的でした。

宣長は「古事記優位」の理由として、『古事記』は過去のありさまを「いにしえ」の言葉であるがままに伝えているのに対して、『日本書紀』は大陸文明を意識して漢文体を用い漢籍のきまりごとに則って記されているため我が国の歴史の姿を正確に伝えているとはいえず(今で言うと、英文では表現しきれない日本語のニュアンスとでも言うのでしょうか)、ややもすればその文面を真に受けて大陸的思考に陥ってしまう恐れがあるためとしています。

その一方で、自身の著書『うひ山ぶみ』や『神代紀髻華山陰』などにおいて、「『古事記』は歴代天皇の事跡については大雑把にしか記していないが、『日本書紀』はその大筋から雑多な言い伝えまで広く詳細に記録している比類のない貴重な文献であって、これなくしては上古のことを知る術はない」と最上級の賛辞を送っています。

現在この二典が「記紀」と並び立てられ、『記』は我が国の「こころ」と「すがた」を知るための書物、『紀』は我が国の「あゆみ」を知るための書物であるとそれぞれの立場を確立したのは、宣長翁の功績であるといえます。

なお、本居宣長の旧宅および書斎「鈴屋」を保存し、多くの資料と研究により翁の事跡を伝える「本居宣長記念館」が三重県松阪市殿町にあります。三重県にお越しの際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。