三重の采女(うねめ)

四日市市には采女町という地名があります。ここ数年、当会では采女町に御鎮座する采女八幡社の氏子区域で、神宮大麻と氏神様の御神札の頒布促進活動を行いました。

采女町内には東海道が通り、ヤマトタケルノミコトが剣を杖にして登ったという杖衝坂(つえつきざか)や登り切ったところで止血したという御血塚社(おちづかしゃ)があります。

ところで、采女とは聞きなれない言葉ですが何のことかご存じでしょうか。

采女とは古代日本において、天皇や皇后に仕え、食事の配膳などを奉仕した下級女官のことです。その出身は、地方の豪族の娘が多く、朝廷への服従の証として娘を采女として献上していました。采女の条件の一つに「形容端正(かおきらきら)しき者(=美人)」を献上しなさいと『日本書紀』には書いてあります。

『日本書紀』や『古事記』には三重県出身の采女の話がいくつか出てくるのをみると、三重県は美人の多いところのようです。雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)に仕えた三重の采女や敏達天皇(びだつてんのう)の夫人、他に壬申の乱で有名な大友皇子の生母は三重県の伊賀の出身です。さすが「美し国(うましくに)」なだけあります。

因みに、中世に成立した『人国記(じんこくき)』という書物には、旧伊勢国の女性は京都と並んで美人だと書かれています。

また、四日市市には「采女納言(うねめなごん)」という、粒あんに求肥(ぎゅうひ)の入った最中(もなか)があります。是非ご賞味ください。

ただし、古来美人の多い三重県に車でお越しの際は、わき見運転にご注意ください!?